亡き祖母に捧ぐ

 10月4日(金)未明、特別養護老人ホームの一室で祖母が息を引き取った。

 3日(木)昼から祖母の容体は悪く、慌ただしく仕事をしていた私にもその一報はもたらされていた。仕事を引き継ぎ、早退させてもらった私は、3日(木)夕方には祖母の元に駆けつけることができた。浅い呼吸をしながら懸命に生きようとしている祖母の姿を目の当たりにして、胸の中はぐしゃぐしゃになりそうだった。今にも消えそうになっている命の灯。その灯がひとたび消えてしまえば、祖母とのあたたかい思い出も一緒に無くなってしまうような気がしてならなかった。私は祖母に「またくるね」と告げて、母を残して部屋を去った。祖母と母、最後は親子の時間を過ごすことができたようだ。

 通夜の儀、告別式の儀を経て祖母は火葬された。私は祖母の変わり果てた姿にショックを受けて、膝から崩れ落ちてしまいそうになった。覚悟はしたつもりだったが、いつも優しかった祖母が骨だけになってしまったのを見て、激しく動揺した。遺骨を収納するために火葬場の職員が骨を砕いて大きさを整えてくれるのだが、祖母の骨が砕かれるのを見て、私の心も砕かれてしまった。

 祖母は優しかった。小中学生時代の夏休みや冬休み、春休みに訪れると「よう来たな」と声をかけてくれて、とっておきのお肉を焼いてくれた。大きくなれ、と祖母の願いが込められているお肉だった。大人になってからも変わらず「よう来たな」と言ってくれた。認知症が進行して特別養護老人ホームに入居してからは、「あんた勉強頑張りよ」が面会する私への口癖だった。「もう働いてるんだけど」と何度伝えたか分からないが、帰るときには「あんた勉強頑張りよ」に戻ってくる。面会のたびにそのようなやり取りを繰り返した。それすらも祖母との大切な思い出だ。

 祖母孝行と云う言葉があるのかは分からないが、仏様として見守る存在となってくれる祖母に、元気でいる姿を見てほしいと思う。

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