バウンダリー
生活行為としての共感
家族や友人あるいは同僚などから何らかの相談を受けた時に、「分かる」という気持ちになることはないだろうか。私たちは、このような感情のことを共感と呼んでいる。共感を示すことで相手の気持ちが落ち着いたり、そこから生まれる信頼関係があったりする。他者と感情を共有する行為は、日常生活の中でごく自然なものとして行われており、私たちの人間関係を円滑にしてくれている。
共感について、辞書ではこのように記されている。
他人の考え、主張、感情を、自分もその通りだと感じること。また、その気持。同感。
精選版日本国語大辞典
他人の意見や感情などにそのとおりだと感じること。また、その気持ち。「共感を覚える」「共感を呼ぶ」「彼の主張に共感する」
デジタル大辞泉
支援現場で生じる共感のデメリット
共感にはメリットがある。しかし、当然のようにデメリットもある。対人支援の現場では、共感のデメリットに気を付けなければならないと私は思っている。
まず考えられるのは、共感によって過度な感情移入が生まれ、自らが疲弊してしまうこと。とりわけ、自らのこころが傷付いている場合、自身の体験と相手の語りを重ね合わせてしまった時に起こりやすい。あくまでも私の意見ではあるが、決して感情移入そのものが悪いとは思わない。対人支援の現場に人が立つ最大の意味は、人間同士の情緒的な交流にあり、そこには少なからず感情移入が生じるものだと思っているからだ。
もう一つ見過ごせないのは、自らの体験(成功体験など)を押し付けてしまうこと。自身の体験と相手の語りを重ねて合わせてしまった時、「私の場合はこうやって乗り越えた」というような個人の体験を相手に押し付けてしまうリスクが生じる。バイスティックの原則の中に統制された情緒的関与があるとおり、相手に共感をしたのであればその状況を正しく認識し、その上で冷静な判断を下さなければならない。
バウンダリー
恩師から教わった言葉の一つに、バウンダリー(Boundary)がある。バウンダリーとは、自分と他者の間に引かれる心理的な境界線のことである。バウンダリーを意識した関わりを他者と持つことは私の課題である。臨床実習のテーマにもなっていたし、現在も引き続き意識している。もし「支援者に必要な資質は?」と問われたなら。──経験の浅い私の答えに大した価値はないだろうが、「この世に同じ悲しみはないと言い切れること」だと答えるだろう。